3.けれどもこれは恋

ある晴れた昼下がり。趣のある、と言えば聞こえは良いが、床は軋むし窓は鳴る、そんな安宿屋の一室で、一人の青年が物思いにふけっている。
「はあ…どうしよう」

 掌を見つめて頬を染めながら溜息をつく青年、その名はカヲル。自他共に認める変態である。
瞳を輝かせ、陶然としているその表情は、白馬の王子様を夢見る乙女顔負けだ。いや、王子様だってこんな緩んだ顔の姫がいたら、えもいわれぬ恐怖を感じて裸足で逃げ出すだろう。
 「なんてこった…怒ってもた…でも、触ってもた…」
うっとりと呟くその様子には、尋常ではないほどの興奮が感じられる。一体彼に何が起こったのだろうか。

 時は一時間前に遡る。
 「タクミー!」
 大声と共に、バキィ!と嫌な音がした。
ベッドに寝転んでいたカヲルが驚いて体を起こすと、視界がタクミの背中に塞がれていた。両腕を不自然に前に半分突き出して、そのままフリーズしてる。不思議に思い、前を覗き込んでみると、部屋の中に扉が突っ立っていた。
仰天して一瞬頭が真っ白になった。だが、少し頭を冷やしてみると、扉が立つはずがないわけだ。魔法か何かに違いない。そう考え直して良く見てみると、そこには扉を持ったラックが立っていた。こちらも驚いたように口を半開きにして唖然とした表情をしている。
 「ちょ、ちょ、何してんですかー?!」
 考える間もなく叫んでいた。叫ぶと同時に考えた。なるほど、ノブを握ってこのオンボロ扉を開けて、そのまま駆け込んできたもので、扉を共に連れてきてしまったんだろう。先ほどの嫌な音は、蝶番の壊れる音だったのだ。なんだか頭は妙に冷静で冴え渡っている。こんなことは一年に一度、あるか、ないか、だ。いつもなら妄想するか、行動を起こすかの二択。同時進行はキャパシティ的にも限界値を超えて不可能なのだ。
 だが、更に驚いたことに、叫ぶと同時に考えると同時に、体さえも動いていた。なんと、扉を持ったラックに駆け寄ると、その手から扉を奪ったのである。そして、扉を壁に立てかけると、ラックに向かって、「だめやろラックさん!力強いんやから、扉はそっと開けてください!」そう言い放った。
ラックはと言えば、その剣幕に圧されたのか、先ほどと一寸も変わらない表情で言った。 「ご、ごめんなさい…」
微妙な空気が流れる。まるで、保存食だと思って買った物が、実はカツラであったと言うような微妙さだ。
  「えーと、ラック、外いかねえ?」
暫しの沈黙と重さに耐え切れなくなったのは、タクミ。その微妙に終止符を打った。
 「うん、そう思って誘いにきたんだった!」
 今までの空気なんて嘘のように、いつもの元気を取り戻したラックは、タクミと連れ立って、扉のない出口から出て行った。
その後、一人残されたカヲルは、壊した扉もそのままに、伸び切ったばねのように、ベッドに倒れこんだ。何だかとっても気疲れしていた。
え、カヲルがいつ何に触ったのかって?扉を奪った時に、ラックの手に、しかも小指辺りにカヲルの手の甲が触れたんだ。その感触に酔うと共に、ラックを怒鳴ってしまった自己嫌悪すらも陶酔に変換させ、一人身悶えていたと言うわけだ。確かにこんなカヲルは変態かもしれない。けれども、これは間違いなく変…ではなく、恋だ。そっとしておいてあげましょう。





(C)芝


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